教師の中には、例えば「習った漢字を使うべきだが、習わない漢字を使うべきではない」といった考え方をする人がいます。
漢字以外であっても、そういったこだわりを見かけます。果たしてそれでいいのでしょうか?
もちろん、一年生に難しい漢字を使った方がいいと言っているわけではありません。
しかし、高学年ともなれば、習っていない漢字だとしても、教師が黒板に書くことに問題はないと思っています。
読めなければルビを振ってやればいいし、真似をして書いてみようと促してもいいと思います。
社会科で都道府県名を書くときには難しい漢字にも触れなければなりませんし、算数でも「直径」などの漢字を、国語の時間に習わなくても使っていかなければならないのです。
話し言葉も同様で、発達段階に相応しい言葉だけをチョイスする必要はないと考えます。
理解できない言葉を教師が発したときに、「もしかしたらこんな意味の言葉かな」とか、「聞いたことあるな」、「分からないから質問してみよう」という思いが子どもの中に生まれることの方が好ましいと思っているのです。
国語辞典やタブレットを使って調べようとすることも、大事な学びに繋がっていくのではないでしょうか。
ところで、私の近所には、5歳になろうとしている子どもがいます。私が何かを話しかけると、「それどういうこと?」と聞いてきます。
言い換えたり噛み砕いたりして教えるにも、その子の語彙が少ないので限界を感じることもありますが、なるべく丁寧に教えています。
その繰り返しによって、使いこなせる言葉の数が増えていくのではないかと感じます。
また、2歳になる子どもは真似が上手で、分からない言葉であっても音(オン)を真似て伝えようとしてきます。
日ごろは小学生と関わることの多い私は、幼い子どもたちを観察すると、言葉の獲得の神秘性に驚かされています。
子どもたちの吸収力を信じ、発達段階に応じた表現ばかりではなく、ときには大人が相手であるかのように話しかけていくことも必要なのかもしれません。